History
10代の頃からロックスターを目指して広島、大阪、東京と渡り歩きバンド活動を行う。
日本を代表するロックスターになるという夢が叶わないまま20代中盤を迎え、共に歩んできたメンバーの脱退もありバンド活動を休止する。
生きる指針を失い、やり切れない思いや漠然とした将来への不安をかき消す様に只々アルバイトに明け暮れる毎日を送る。
安定を求める自分と冒険に挑もうとする自分の狭間の中で、ある日突然一通の手紙が届く。それは中学三年生だった頃の自分からの手紙だった!?!
その最後の一行に
''宏明!お前今からアメリカに行くんじゃろ!!
アメリカにはデッカい奴や怖い奴がおるじゃろうけど、最後まで自分の夢を諦めずに生きていけよ!!!中三の宏明より”
と懐かしい広島弁で記されていた。
中三の自分からの手紙を読みながら涙が止まらなくなった、、、
その日を境にアルバイトで貯めたお金で自分のルーツを探るためカバン一個でアメリカへ放浪の旅に行く事を決断。
半年間の旅の中でL.Aで出逢った旅人により
バーニングマンというイベントと
『BLACK ROCK CITY』の存在を知る。
そのイベントが掲げる
人は誰もが表現者!
今迄の常識を捨て!自由に!
貴方にしかない人生を!!
という理念に感銘を受け、やはり自分にしかない自由な生き方を掴もうと決意。
そこから日本に帰国するが、何からやって良いのか分からず渋谷の片隅にあった飲食チェーン店をジャックし真夜中のライブハウス化。前年比150%以上の業績を上げ、自由に成る為に飲食店のオーナーを目指すが朝から晩まで、時には真夜中までぶっ通しで働くワークスタイルに、どう頑張ってもバンド活動を行い仲間と共に成功して自由に生きていくライフスタイルにならない事を痛感。
そこで出会ったLVMHの方に中島薫さんを紹介して頂く。中島薫さんが還暦にマカオのベネチアンホテルを貸し切り6,000人を招待して、更にマライアキャリーをゲストに呼んで皆んなの為に企画している姿に自分の想像を遥かに超えるスケール感と可能性に感銘を受け、世界を舞台に好きな時に好きな仲間と好きな事をやり、仲間の成功を本気でプロデュースして行く生き方にビジネス含めた人生の考え方を教わる。